@article{oai:air.repo.nii.ac.jp:00001169, author = {服部, 裕 and HATTORI, Hiroshi}, journal = {秋田大学教育学部研究紀要 人文科学・社会科学, Memoirs of the Faculty of Education, Akita University. The humanities & the social sciences}, month = {Feb}, note = {P.Handkeの文学作品が,特に小説を中心として主観主義的傾向に特徴づけられているということは,衆目の一致するところである。作家自身,自らの文学の本質はその主観主義の中にこそ内在すると認めている。しかし,こうしたHandkeの主観主義的文学に対する評価は,読者,批評家によって大きく相違する。それは主観主義的文学が持つ可能性に対する様々な評価の相違に起因していると考えられる。そこでHandke自身が自らの主観主義的文学をどのように定義しているのかを知ることが,彼の文学を理解あるいは批評するための礎となると思われる。本論文では作家自身の文学理論を参考としながら,小説"Die Stunde der wahren Empfindung"を具体的 に作品解釈することによって,Handkeの主観主義的文学を解説することに努めた。 本作品解釈によって明らかになったことは,Handkeの主観主義的文学の原点が,作家自身の内的体験に在りながら、また文学表現もひたすら極端な自己内面化による内面描写に貫かれているにも拘らず,作家の目標は他者のために普遍的な文学を創作することにあるということである。 ほとんど自己暴露とも思える極限までの内面-の沈潜を,作家自身は現実逃避とは理解せず,むしろ他者及び社会-の関与及び参加の前提であると考える。こうした文学姿勢は,Handkeの観念的な仮定(postulate)の上に築かれている。つまり,すべての人間にとって,その体験とそれによって喚起される内面の動きは共通するものであるという仮定である。 こうした主観主義的方法論を用いて,作家は疎外されアイデンティティを失った個を,その内 面から浮き彫りにする。"Die Stunde der wahren Empflndung"は,個が自らの疎外された存在とアイデンティティ喪失を認識し,苦悩の末、やがて真の自我の獲得への意志に目覚めるまでの内面の動きをグロテスクなまで直接的に描写した作品である。}, pages = {47--58}, title = {ZU PETER HANDKES SUBJEKTIVISTISCHER LITERATUR - Mit einer Interpretation über "Die Stunde der wahren Empfindung" -}, volume = {36}, year = {1986} }